AIや人工知能を語る上で存在する問題の一つに、フレーム問題がある。目的と関係ある事柄だけを抜き出して判断することの難しさを語る上で出てくる話だ。
この問題の説明として、「ダニエル・デネットのボット」という、デネットがフレーム問題を説明するために考案した話がある。ロボットが2台あり、一定の場所から移動されると爆発する時限爆弾付きの荷物がある。1台は目的の場所から爆弾付きの荷物を運び出すが爆発。次の1台は荷物を移動するにあたり、考慮すべき事項を全て考慮していたところそのまま思考を続けていたところ、時間が来て爆発してしまったというものだ。
先に述べたとおり、このフレーム問題は、普段人間が何気なくやっている、ある事象を行うことによる他の事象との因果関係あるなしを切り分けることの難しさ、それを経験則的に自然に行える人間と、判断軸を示す必要がある作られた頭脳の差を表しているように思える。
自分自身はどちらのロボットに近いだろうか
ここで一度立ち止まり、フレーム問題を自分自身に置き換えて考えてみよう。
ちょっと考えてみてほしい。
自分は果たして1台目のロボットと2台目のロボット、どちらに近いだろうか。
後先考えずに結果のみに向かって推進力を発揮する人間か、石橋を叩いて牛歩で進む人間か。
私自身はどちらかといえば後者よりの人間だ。自分にボールを長くとどめすぎるところがあり、判断を下すまでに熟考してしまう癖がある。さらに言えば、取り掛かるまでの速度が遅く、取り掛かって9割完成してから10割にするまでの些細なこと(メッセージの内容1つや根拠の確認等)時間を食われてしまう。そして爆弾が爆発するという訳だ。
その割に自分のボールが積みあがるとワーキングメモリを圧迫してパフォーマンスが落ちる矛盾を抱えており、ここ1年は自分でボールを留めないように、重要な判断を要する課題でなければ部下に振るまでを早くするよう、保留のままタスクの後ろに並べるのではなく、いったん自分の手から離して進行中に変える意識をして勤務してきた。
このブログにたどり着いた貴方は果たしてどんなタイプなのか、そして自分自身のその性質をどのように評価しているだろうか。折角なら心がけていることなどをコメントしていってほしいと思う。
「えいやっ」の人間性
それでは、人間とロボットの違いはどこにあるだろうか。それは人間がある程度恣意的なフレーム設定を都度行えることにある。
「このメールを送ったらその衝撃でマウスが壊れ、その衝撃でデスクを破壊し床が割れて下の階に落ちるかもしれない…」などとメール送信ボタンを押す際に考える人はいないだろう。むしろ、「この内容で送って怒られるかもしれないが…、あーでも今送ってもな…えいやっ」みたいなタイミングの方が、よっぽど社会人をする上では多く経験することと思う。
そして、この「えいやっ」にこそ、ある種の人間らしさが込められている。それは爆弾が爆発しても良いというリスク管理かもしれないし、全ての事象を織り込み切れるわけではないという一種の諦念からくるものかもしれないが、その判断を行う複雑性にこそ、人を人たら占めている(今のところは)要因が眠っているように思える。
飛躍するようだが、本エントリーによる結論は、くよくよ起こる可能性の低いリスクを考えすぎて止まらずとも良い場合が、事務仕事においては特に多いのだから、この人間性を発揮して、最大限のパフォーマンスを発揮しつつも「えいやっ」と飛び込んでみようということだ。
後先考えずに突っ込んで叱られたり指導を受けるタイミングはあるかもしれないが、人が死なない、カネが飛ばないような、社内のレピュテーションが今若干下がることよりも、契約を飛ばしてしまう要因になることの方が爆弾としての脅威度は十分に高いのだから、若いうちはどんどん飛び込んで失敗し、業務遂行能力の牙を研いでほしいと思う限りである。
人間らしさ、無謀、度胸
どう言語化するかはともかく、思い切ることができるのも1つの人間らしさ。そう割り切ってフレームを恣意的に弄って無視する時があっても良い。そう思う。
※本エントリーは転職を控え、次の職場で活躍する自分になるための私から私へのメッセージでもあります。頑張れ自分。

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